写真で学ぶ阪神・淡路大震災

神戸の中心部、三宮の破損したビル。よく見ると4階部分がつぶれ、3階の上に5階部分が乗った状態に。

神戸市中央区

1995.1.21

倒壊したゴシック様式の教会堂。

神戸市中央区

1995.1.17

神戸の中心部にある神社も、拝殿が全壊した。

神戸市中央区

1995.1.23

8階建ての6階部分がつぶれた神戸市庁舎2号館。その後、6階より上層を撤去し5階建ての建物として再建された。

神戸市中央区

1995.1.23

傾いたビル。本震で傾いてしまったこうしたビルが、度重なる余震によって横倒しになる場合もあった。

神戸市中央区

1995.1.23

地震発生時刻を指したまま止まってしまった明石市立天文科学館の塔時計。

明石市

1995.2.16

1階部分がつぶれ2階が地上まで接近した住宅。当時、被災地で多く見られたリュック姿で歩く人の姿も写っている。

神戸市灘区

1995.1.21

1階片側の柱が折れ、大きく傾いた3階建ての住宅。

神戸市東灘区

1995.2.26

2階部分の一辺が地上に達するほど傾いた住宅。背後には、同じ方向に傾いた電柱とさらに奥には傾いた別の住宅が見える。地震動の力のかかった方向がうかがえる。

芦屋市

1995.2.2

三宮の繁華街の被災状況。電柱がなぎ倒され、店のインテリアが道端に散乱している。

神戸市中央区

1995.1.23

電柱がほぼ水平になるまで倒れ、通行が遮られてしまった道路。

神戸市東灘区

1995.1.17

商店街の様子。アーケードの片側が地面に触れそうなほど傾いている。

神戸市東灘区

1995.2.21

高層住宅の被災。低層の特定の階だけがつぶれ歪みが生じている。

西宮市

1995.2.26

兵庫県庁の執務室内。コンピューター機器のラックや事務用品などが転倒、激しく散乱している。

神戸市中央区

1995.1.17

民家の中。棚が倒れ、あらゆるものが散乱し、足の踏み場がない。

1995.1.17

民家の中。食器類が粉々に割れ、散乱。

1995.1.17

横倒しになった高速道路は震災の被害の甚大さを伝える象徴的なシーンとなった。

震災発生から2日後、復旧工事が始まっている。

神戸市東灘区

1995.1.19

駅舎の1階エントランス部分がつぶれた阪急伊丹駅。

伊丹市

1995.1.17

神戸港の中突堤付近の被害状況。船着き場が崩れ、大きく傾いている。

神戸市中央区

1995.2.19

地震の後、各所で火の手が上がった。1995.1.17 午前7時ころ。

延焼が続く火災現場付近。神戸市長田区では木造家屋が密集するエリアを中心に火災による甚大な被害が出た。

神戸市長田区

1995.1.17

火災現場での消火活動。水道の断水、火災の同時多発、建物等の倒壊による道路通行の遮断等の事由が重なり、十分な消火活動ができない現場も多くあった。

神戸市長田区

1995.1.17

火災で焼けたアーケード。焼け跡の隙間から青空が見える。

神戸市須磨区

1995.1.17

地震から約1か月後、神戸市長田区の焼け跡の様子。建物・道路の区別がないほど焼失。

神戸市長田区

1995.2.21

倒壊した病院。倒壊を免れても、電気・水の停止により、運び込まれる患者の治療を十分に行えない現場もあった。

神戸市東灘区

1995.2.2

本館が全壊した神戸市西市民病院。入院患者は他の病院へ転院することになった。

神戸市長田区

1995.1.23

兵庫県警の機動隊員による、焼け跡での捜索活動。

神戸市兵庫区

1995.1.27

倒壊家屋に生き埋めとなった人の救出活動。多くの人が近隣の住民によって救出された。

神戸市灘区

1995.1.17

仮設テントでの医療活動

神戸市東灘区

1995.2.9

区役所で、救援物資を移送するため、リレー式でトラックに積み込んでいる様子。

神戸市東灘区

1995.1.26

避難者でいっぱいになった体育館

避難所の訪問。ボランティアによる避難者の支援も展開された。

西宮市

1995.2.17

炊き出しの暖かい汁ものを給仕し分配する様子。発災から1ヶ月後。

西宮市

1995.2.17

避難所となった公園での炊き出しの様子。背景には被災したまちの悲惨な光景が広がる。

神戸市長田区

1995.1.26

避難所でのさまざまな情報・お知らせ。仮設住宅の当選番号も張り出されている。

神戸市東灘区

1995.2.9

被災者の安否を知らせる貼り紙。被災地の焼け跡などに貼り出された。

家庭の電話は不通となり、設置された臨時電話に行列ができた。

断水し、給水車で届けられた水を協力して運ぶ人々。

避難所となった小学校での給水車による水の配給の様子。

神戸市灘区

1995.1.25

避難所となった学校に設置された仮設トイレ。水洗トイレが使えなくなったことは長い期間大きな問題になった。

神戸市灘区

1995.1月

中学校の校庭に自衛隊によって作られた仮設風呂。

西宮市

1995.3.3

仮設のプレハブ教室、自衛隊の設備やテントが並ぶ校庭。

神戸市東灘区

1995.3.10

線路上をリュックを背負い歩く人々の姿が、被災地の様子を伝える一つの光景になった。

焼け跡での法要。発災から1ヶ月後。

神戸市長田区

1995.2.17

立ち並ぶ応急仮設住宅の様子。

宝塚市

1995.2.7

~撤去後、再利用が可能な仮設住宅は、トルコの大地震の被災地に提供された。

ピーク時には4万戸以上にのぼった仮設住宅。独居世帯を訪問し、心身の状態を確かめ、アルコール依存等を未然に防ぐなど、入居者への支援活動も行われた。

復興への願い、はげましのスローガン「がんばろうKOBE」をかかげたプロ野球・オリックスがリーグ初優勝。

1995.9.19

1995.12.15 初の神戸ルミナリエ開催。震災の記憶を語り継ぎ、神戸のまちと市民の夢と希望を象徴する行事としてその後毎年12月に開催。

仮設店舗・仮設商店街。被災地の商店が本格再開するまでの一定期間、テント、プレハブなどを用いた仮設の店舗や商店街が生まれ、まちの復興に活力を与えた。

行政が立てた計画を住民に伝え、地権者の主張や要求をもとに協議する。復興プランをまとめるため、手間と時間をかけて粘り強く検討・調整する「まちづくり協議会」が、各地で復興に大きく貢献した。

1997.5.19

神戸港復興宣言。7月、被災したメリケン波止場の一部を保存したメモリアルパーク完工。

淡路島北部で地上に露出した野島断層。

1998.4.2

野島断層を保存、展示する「北淡震災記念公園」オープン。

1999.5.11

兵庫県内の復興公営住宅がすべて完成。

兵庫県が整備した主な防災関連拠点。

2003年8月「災害医療センター」開設

兵庫県が整備した主な防災関連拠点。

2004年4月「こころのケアセンター」開設

兵庫県が整備した主な防災関連拠点。

2004年4月「広域防災センター」開設

兵庫県が整備した主な防災関連拠点。

2005年1月「実大三次元震動破壊実験施設(E-ディフェンス)」完成

兵庫県が整備した主な文化施設

2002年4月「県立美術館」開設

兵庫県が整備した主な文化施設

2005年10月「県立芸術文化センター」開設

2005.9.1

兵庫県独自の「住宅再建共済制度(フェニックス共済)」スタート。

2006.9.30

「のじぎく兵庫国体」開幕。

その後兵庫県の公式マスコットとなるはばタン誕生。

2009.9.29

「鉄人28号」のモニュメント、神戸市長田区に完成。

『しあわせはこべるように』。震災後生まれた合唱曲を歌う小学校の合唱団。

例年のセレモニーなどで歌い継がれている。

2011.11.20

「感謝と友情」をテーマとする「第1回神戸マラソン」開催。

2002.4.27

震災の経験を語り継ぎ、教訓を伝える施設「阪神・淡路大震災記念 人と防災未来センター」開設。